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福岡地方裁判所小倉支部 昭和49年(ワ)52号 判決 1980年11月25日

原告 後藤文男 ほか三名

被告 国 ほか二名

代理人 上野至 北島凡夫 ほか一三名

主文

一  被告麻生セメント株式会社は、原告後藤文男、同後藤耕史、同後藤恭弘に対し各金六九〇万九八四五円及び各内金六三〇万九八四五円に対する昭和四八年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告中野キミエに対し金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らの被告麻生セメント株式会社に対するその余の請求及びその余の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告麻生セメント株式会社との間においては原告らに生じた費用の五分の三を同被告の負担、その余は各自の負担とし、原告らとその余の被告らとの間においては全部原告らの連帯負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

一  当事者

1  原告文男が昭和四八年七月九日に死亡した亡フミエの夫であり、原告耕史、同恭弘が亡フミエの長男及び二男であり、原告キミエが亡フミエの母であることは当事者間に争いがない。

2  被告国に関する請求原因1(二)は原告らと同被告との間において争いがない。

3  被告藤沢薬品に関する右1(三)は原告らと同被告との間において争いがない。

4  被告麻生セメントが飯塚病院を経営していることは原告らと同被告との間において争いがない。

二  本件事故

1  亡フミエの死亡に至る経緯

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(一)  ミオブタゾリジン投与前の症状等

亡フミエは昭和四八年四月一八日二宮医院で胃痛、肩こり等の訴えにより受診し、治療薬としてメサフイリン、バランスの投与を受け、また肝機能検査を受けたが検査結果には特に異常はみられなかつた。

次いで同年五月八日飯塚病院内科で上腹部痛を主訴として受診し、同月一一日胃炎との診断を受けたが、同日同病院整形外科でも受診した結果、右後頭神経痛との診断を受け、キシロカイン、デキサメサゾンの注射を受けた。

(二)  ミオブタゾリジン投与及び服用の状況

亡フミエは同月一八日飯塚病院整形外科において、佐田医師より前記症状の治療のため、ミオブタゾリジン(一錠中フエニールブタゾン五〇ミリグラム含有)一日三回各二錠宛一週間分計四二錠を他の薬剤(メブロン、ハイゼツト、ルシドリール)とともに投与を受け、さらに同月二五日再び佐田医師より右と同一同量の薬剤の投与を受け(ミオブタゾリジン投与の状況は原告らと被告国、同麻生セメントとの間において争いがない)、これらの薬剤を右投与時より同年六月一〇日にかけ断続的に服用した。

(三)  ミオブタゾリジン投与後の症状経過

亡フミエは同年五月三〇日田代皮膚科医院を受診したが、その一週間前より両手足に発疹が出現しており、右受診当時両手足の背側に掻痒感を伴なう紅斑が生じ、足には軽度の落屑があり両手足湿疹と診断され、治療薬としてアミノハーゲンの静注、外用薬としてビオスクリーム、サリチル酸ワセリン、内服薬としてホモクロミン、ワカデニンの各投与を受けた。

その後同年六月二〇日光井医院にて二、三日来の心窩部痛を主訴として受診し、急性胃炎との診断を受け、治療薬としてアラネトリン、ロートX、ボミトールの投与を受けた。

さらに同月二五日飯塚病院整形外科にて上腹部痛のため受診し、キシロカイン、デキサメサゾンの注射を受けた。

また右同日林田胃腸科医院においても受診し、バレタン、ピストカイン、ホエフイリンの投与を受け、同月二六日には同医院で胃透視検査を受け、その結果多発性胃潰瘍との診断がなされ、ブスコパンの注射、ソルベンの投与を受けた。さらに同月二七日に発熱を生じ翌二八日には全身に皮疹が出現した。同月二九日に同医院にて受診したが、全身倦怠感、発熱、皮疹により、バレートS、ビストカイン、ホエフイリン、セレナールの投与を受け、翌三〇日には強力ミノフアーゲンC、タチオン、二〇パーセントフルクトンの各注射、ボミトール、オベラーゼ、ナイステトラVを投与された。なお同日実施された肝機能検査により肝機能の異常が明らかにされた。そして同年七月一日に同医院にて受診した際には前記の症状に加え黄疸が生じており、そのため林田医院は胆石症の疑いがあるとして亡フミエを飯塚病院内科へ転院させるに至つた。

(四)  飯塚病院入院後の経過

亡フミエは同月二日飯塚病院内科にて受診したうえ即日同病院に入院したが、黄疸は次第に増悪し、全身に紅斑様皮疹が現われ、異常な尿を排出するようになり、同月九日午前七時一〇分昏睡状態のまま急性黄色肝萎縮により死亡するに至つた(亡フミエが飯塚病院に入院した後右日時に急性黄色肝萎縮により死亡したことは原告らと被告国、同麻生セメントとの間において争いがなく、亡フミエが全身に紅斑様皮疹が現われ異常な尿を排出したことは原告らと被告麻生セメントとの間において争いがない)。

(五)  病理解剖の結果

亡フミエが死亡した当日剖検が実施されたが、その病理解剖学的診断結果によれば、主病診断は急性黄色肝萎縮であるが、副病変として全身黄疸高度、黄疸腎、リンパ性甲状腺炎、胃潰瘍(UlⅡ)、全身性紅斑様皮疹等があり、また病理組織学的所見として、肝臓については肝小葉構造は無構造となり、周辺、縁は全体に壊死に陥つており、融解壊死も存在することなどが指摘された(以上の事実は原告らと被告国、同麻生セメントとの間において争いがない)。

2  ミオブタゾリジンについて

ミオブタゾリジンがフエニールブタゾンとカリソブロドールを有効成分として含有する医薬品で筋弛緩、鎮痛剤として広く使用されていること、フエニールブタゾンがピラツオロン誘導体で下熱、鎮痛、抗炎症作用のある薬剤であること、フエニールブタゾンの副作用として、文献上、まれに発熱、皮膚粘膜の発疹または紅斑、壊死性結膜炎などの症候群、浮腫が現われること、まれに腎臓障害、リンパ節肥大、黄疸を伴なつた肝障害が現われることがあること、胃潰瘍、十二指腸潰瘍を悪化させることがあることなどが記載されていることは、当事者間に争いがない。

またフエニールブタゾンの副作用の症例として、<証拠略>によれば、L・マイラーら共編「薬剤の副作用」第六巻中には、肝障害はフエニールブタゾン中毒患者によくみられるが黄疸を伴ない時には死に至る肝障害がごく普通の治療量で右薬剤を用いた結果としても起きるとし、その具体例として、一九才の女性が一日当たり三〇〇ミリグラムのフエニールブタゾンを一四日間服用したところ、発熱、耳下腺腫脹をきたし、服用を中止したがなお具合が悪く発熱が続き病院に入院時には重症で中毒症状があり、眠り続け、口から出血し時には血液の混じつた嘔吐があり、急速に黄疸が出、また全身に皮疹が生じ、口内炎、結膜炎があり、顔面頬部に浮腫が出、肝機能検査ではビリルビン五・一ミリグラムパーセント、アルカリフオスフアターゼ一七・四KA、GOT一六〇〇、GPT一三五〇であり、入院三日目に死亡し、死後剖検では肝に脂肪浸潤を伴なつた急性中毒変化などの病変がみられたとの報告例がある旨記載されていることが認められる。

3  亡フミエの死亡とミオブタゾリジンとの因果関係

原告らは亡フミエの死亡の原因はミオブタゾリジンの服用による薬物性肝炎であると主張し、一方被告らはこれを否認しむしろウイルス性肝炎である可能性が強いなどと主張するので検討するに、本件審理においては亡フミエの死因である肝障害の原因等につき前後三回の鑑定が実施され、また被告藤沢薬品、同麻生セメントの依頼による私的な鑑定の結果が書証として提出されており、亡フミエの死亡とミオブタゾリジンの服用との因果関係に関する医学的知見を踏まえた専門的な評価、判断はこれらの鑑定結果に集約されていると考えられるので、以下これらの鑑定結果を中心に判断していくこととする。

(一)  各鑑定結果等の概要

(1) 因果関係肯定説

鑑定人鈴木宏(東京大学講師・医学博士)、同志方俊夫(日本大学教授・医学博士)の鑑定結果(以下「鈴木・志方鑑定」という)及び証人志方俊夫の証言(第一、二回、以下「志方証言」という)は概要次のとおりである。

(イ) まず、鈴木・志方鑑定は結論として、亡フミエの症状は臨床的、病理学的に劇症(激症)肝炎あるいは急性肝壊死と診断されるところ(以下「本症例」という)、その病因が肝炎ウイルスであるか薬物であるかはいずれとも断定し得ないが、皮膚の病変との合併を考慮すればウイルス性肝炎である可能性は比較的少なく、薬剤アレルギーによるものである可能性が強く、ミオブタゾリジンとの関係については若干問題があるものの、ミオブタゾリジンによる肝障害である可能性は完全には否定出来ないと指摘し、その具体的な理由を概要次のとおり説明している。

すなわち、劇症肝炎の原因のうち主なものは肝炎ウイルスと薬物であるが(薬物についてはその直接作用によるものと薬剤アレルギーによるものがある)、これらの鑑別を確実に行ない得る診断法は少なく、多くの症例は臨床経過及び剖検所見からその原因を推定しているところ、本症例においても、HBs抗原が血清でも肝組織でも一回の測定で陰性であつたことから直ちにB型肝炎ウイルスに起因する可能性を否定することはできず、また劇症肝炎はその他の肝炎ウイルスによつても起こり得るし、他方薬物に対するリンパ球芽球化試験は本症例では施行されておらず、わずかに病理組織学的所見により薬物の直接作用によることのみを否定できる状況であつて、結局肝炎ウイルスか薬物かの確証がないため、前記の推定方法による鑑別を行なうほかない。

右鑑別の手がかりとして、まず皮膚の発疹を取り上げるべきであるが、亡フミエが昭和四八年五月三〇日に田代皮膚科医院で両手足湿疹と診断されたところの皮疹は、フエニールブタゾンによくみられる症状であり、薬剤(ミオブタゾリジン)の投与時期と一致したことからもフエニールブタゾンによる中毒疹である可能性が強いところ、その後同年六月二〇日光井医院、同月二五日林田胃腸科医院での各受診時には診療録に皮疹についての記載がなく少なくとも皮疹が増悪していたとは考えられないけれども、同月二九日には紅斑性の皮疹が認められ剖検時の写真でもかなり強い紅斑性皮疹があるので、これが当初の皮疹と全く同じものであるかどうかが問題となるが、皮疹の様子が経過中若干変ることは有り得るし、異なつた皮疹がそれまで健康であつた人に相次いで出現する可能性は少ないから、前後同一の原因によるものと考えざるを得ない。そしてこの皮疹は中毒疹であるという診断が可能であるところ、薬物による皮疹は固定薬疹以外は非特異的であるので、発疹のみからは右が薬物による皮疹であるとは断定できないものの、他方ウイルス性肝炎でもまれに発病初期に蕁麻疹様の発疹をみることがあるが、発病後消失する例が多く、本症例のような高度の発疹はウイルス性肝炎では殆んどみられないし、またジアノツテイ病では発疹が出るがそれは丘疹であつてまた大人にはまれであり、さらに薬物による中毒疹とウイルス性肝炎の劇症肝炎が偶々合併する確率は極めて少ないことからして、本症例の皮疹と劇症肝炎とは同一原因によるものと考えるべきであり、結局薬物アレルギーの可能性が強い。

次の手がかりとして、亡フミエの胃の障害が取り上げられるが、剖検時の胃潰瘍はむしろびらんというべき軽い変化であるところ、普通ウイルス性肝炎の経過中に胃潰瘍の発生を認めることは極めてまれであるのに対し、フエニールブタゾンの副作用として胃の障害、多発性胃潰瘍は多くの報告で述べられていることからして、亡フミエの胃の障害はミオブタゾリジンに起因する可能性がある(ただしこの薬物の場合胃の病変はアレルギー性のものではなく主に薬物の直接作用によるものと考えられているので、亡フミエが昭和四八年六月一五日以降に訴えた心窩部痛とミオブタゾリジンによる胃の障害とを結びつけるのには問題がある)。

そのほか、次のような問題点が指摘できる。

まず、本症例では好酸球は〇パーセントで好酸球増多はみられないところ、好酸球増多は肝炎ウイルスによるものでは殆んどみられず薬物によるものでは発病初期に約四〇パーセントにみられるものである。従つて好酸球増多があればウイルス性肝炎を否定できるが、それがないからといつて薬物性肝炎を否定することはできない。

次に、本症例の肝炎の発症時期と薬物の投与との関係について、本症例では六月二六日に発熱、翌二七日に嘔吐、七月一日黄疸があり、また六月二九日肝機能検査で明らかな肝障害が認められているので、劇症肝炎の発症時期は六月二六日ころと考えられる。すなわち、劇症肝炎では一般に数日ないし二週間の前駆期があるのが通常であるところ、本症例では六月一五日から二〇日ころより心窩部痛を訴えており同月二五日には胆石の疑いを置かれており、劇症肝炎では発症時に高度の心窩部痛を訴え胆石症と誤診されることがあり、本症例でも心窩部痛の原因は胃潰瘍による可能性もあるが劇症肝炎による可能性も否定できず、従つて本症例では六月二〇日か最大限遅くみても同月二五日には劇症肝炎が起こつていたと考えられる。そして本症例の場合、六月一〇日から二〇日までは薬剤を服用しておらず、薬物性肝障害は薬物の服用中に起こることが多いので、この点から起因薬剤が問題となるが、一般にアレルギー機序による薬物性肝障害は起因薬剤服用中に服用開始後一ないし四週間目に起こることが多く、薬剤服用中止後に起こることも当然考えられるが多くは服用中止後二週間以内に起こつており、フエニールブタゾンについては服用中止後一〇日目に肝障害が起こつた例が報告されていることからして、本症例がミオブタゾリジンによるとすると服用中止後二五日後(あるいは少なくとも一五日後)に肝障害が発生したことになりまれであるといえるが、しかし六月二〇日前後に一錠でも右薬剤を服用していれば、本症例のような肝障害を起こし得る可能性がある。

(ロ) 鈴木・志方鑑定の概要は以上のとおりであるが、さらに志方証言により右鑑定内容がふえんされているので、その主要な点を摘記すると次のとおりである。

すなわち、亡フミエの死亡当時にみられた全身、特に四肢の末端の非常に強い紅斑はウイルス性肝炎では絶対といえるほど起こり得ず(ウイルス性肝炎の前駆期に皮疹が生じることがあるが肝炎発症とともに消退する)、ジアノツテイ病の皮疹は丘疹であるし同病は大人にはまれであり、また劇症肝炎でDICが起こることがあるが、DICは皮膚に紫斑が出るのであつて本症例は紅斑であるからこれに該当せず、本症例が皮膚に中毒疹を伴なつた肝障害であることから薬物性肝炎であると考えられる。

そしてミオブタゾリジンとの関係については、亡フミエが死亡時までに多種類の薬剤の投与を受けているが、その中で肝障害の副作用のある薬剤として最も可能性の高いのがミオブタゾリジンであり、他の薬剤は本症例の原因として可能性が乏しく、また従来報告された副作用症例では薬剤服用後すぐに肝障害が起こつている例が多く、本症例の原因がミオブタゾリジンであるとすれば薬剤の服用と発症との時間的関連性が若干問題となるが、例えばシヤーロツクの肝臓病に関する著書の中に薬物性肝障害が薬剤の服用を中止して三週間経過後に発症することがある旨の記述があることなどからして、本症例がミオブタゾリジンによる肝障害である可能性は強いのであつて、鈴木・志方鑑定において「六月二〇日以降一錠でも服用しておれば云々」としているのは、かかる服用の事実があれば本症例とミオブタゾリジンの関係がより鮮明になるという意味であり、この事実がなくとも右関係を認め得る。

また亡フミエが自己免疫性疾患である橋本氏甲状腺炎に罹患していたことにつき、この疾患はウイルス性肝炎とは無関係でむしろ薬物性中毒を増悪させる可能性があり、本症例の肝炎が薬物性であるとすれば、その劇症化に関与した可能性がある。

さらに亡フミエがミオブタゾリジンを服用後まもなく現われた皮疹につき、田代皮膚科医院の診療録には有痛性潮紅炎と記載されており、これは紅斑であつて死亡時の皮疹と類似しており、おそらく同じものと考えてよい。

なお本症例が薬物性肝障害であることは九九パーセントの確率をもつて、また起因薬剤がミオブタゾリジンであることは八〇パーセント以上の確率をもつてそれぞれ断言できるところであつて、本症例とミオブタゾリジンとの間に相当高度の蓋然性をもつて因果関係を肯定し得る。

(2) 因果関係否定説

(イ) 濱島義博の鑑定

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

京都大学教授・医学博士濱島義博は被告麻生セメントの依頼を受け、本症例が薬物とウイルス感染のいずれによるものかにつき鑑定(以下「濱島鑑定」という)を行なつたが、その結果の概要は次のとおりである。

本症例は高度の壊死が急激に肝臓に生じたいわゆる電撃性肝炎であるが、一般的にその大部分がウイルス感染によるものとされ、かつ感染経路は経口的であるとされていること、本症例が薬物性中毒であれば、この壊死肝組織より薬剤そのものの証明が形態学的になされなければならないが、これは技術的に不可能な問題であること、亡フミエには典型的な橋本氏甲状腺炎が以前から存在し、元来免疫異常の状態にあり、感染に対して異常に敏感な状態にあつたことなどを指摘し、結局本症例はウイルス感染が原因である疑いが強いとしている。

(ロ) 井林博、遠城寺宗知の鑑定

鑑定人井林博(九州大学医学部教授(臨床))、同遠城寺宗知(上同(病理))の鑑定結果(以下「井林・遠城寺鑑定」という)の概要は以下のとおりである。

まず結論として、亡フミエの死因となつた劇症肝炎が薬物中毒特にミオブタゾリジンによる急性の肝障害であると断定するのは困難であり、むしろウイルスその他の原因による劇症肝炎と考えたいとしており、その理由として次のとおり述べている。

国内文献で報告されている昭和一九年から昭和四八年までの三〇年間のアルコールを除く薬物性肝障害二八四九例のうちフエニールブタゾンによるものは一二例であるが、いずれも薬剤使用中に肝障害が発症し投薬中止で改善されており、外国文献でも右薬剤による肝障害は投薬後二週間以内に出現すると記載されているが、本症例ではミオブタゾリジンは六月一〇日まで服用され、翌一一日以降服用されていないとされており、右薬剤と本症例の肝障害(同月二七日が発症時期)との間に因果関係を認めることはできないし、また薬物中毒を示唆する好酸球増多も認められない点も薬物によるアレルギー性肝障害に否定的な所見であり、ウイルス性肝炎と考えるのが妥当である。

また本症例においてはHBs抗原が陰性であつたが、該検査の感度を考慮するとB型肝炎も否定できないし、亡フミエの剖検所見において細胞性免疫異常が関与する代表的疾患である橋本氏甲状腺炎類似の病変が認められる点は、本症例の肝炎劇症化を説明し得る所見と考えられる。

さらに、本症例の肝のびまん性壊死の所見は急性黄色肝萎縮に一致するが、急性黄色肝萎縮はウイルス性肝炎の際にその劇症化として来るものが圧倒的に多く、薬物中毒によつて来るものもあるが、その原因を組織形態上から区別することは現在のところ不可能である。

(3) その他の鑑定(間接的因果関係否定説)

(イ) 青木和夫の鑑定

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

和歌山県立医科大学教授(皮膚科学教室)・医学博士青木和夫は被告藤沢薬品の依頼を受け、亡フミエにつき昭和四八年五月三〇日当時の皮疹と同年六月二九日当時の皮疹とが同一疾患であるか、どの程度の関連性があるか、またその原因としてミオブタゾリジンが考え得るかにつき鑑定(以下「青木鑑定」という)を行なつたが、その結果の概要は以下のとおりである。

まず結論として、本症例の五月三〇日ころの皮疹は急性湿疹、六月二九日ころのそれは中毒疹と考えられ、両者は全く別個の疾患でその間に因果関係ないし関連性はないものと思われ、なお後者の中毒疹は薬疹である可能性も否定できないが、その原因薬剤として発症数週間前に投与が中止されているミオブタゾリジンを挙げることは困難であろうとしており、その理由として次のとおり述べている。

まず五月三〇日当時の亡フミエの皮疹は、急性湿疹である。なぜなら、湿疹は日常よく遭遇する疾患であり、永年皮膚科の専門医として診療に従事して来た田代医師の診断を疑う余地がないからであり、また薬疹であれば普通足、手などに限局した湿疹の型をとることはなく、特にこれがミオブタゾリジンによる薬疹であれば、原因薬剤の投与を続けながら病巣が拡大せずむしろ軽快しているのは納得できない(なお右皮疹が軽快したとの点については、田代皮膚科医院を一回受診しただけでその後訪れた光井医院等の診療録に記載がなく、湿疹のかゆみは耐え難いものであるから、症状の軽快がなければ本人が必ず訴えていると思われるからであると説明している)。

一方六月二九日ころから全身に現われた発疹は中毒疹であり、中毒疹の原因には薬物等の外来性のものと、体内性のものとがあるが、本症例では肝障害に伴なつて発疹が生じていることから薬物に原因を求めることも可能であるが、本人死亡により誘発試験などによつて確認することは不可能であり、さらにこれが薬疹であるとしてもその原因薬剤は発疹出現の時期に投与されていたものに求められるのが原則であるから、ミオブタゾリジンに原因を求めるのは無理であろう。

なおまた、一般に薬疹を含めて中毒疹は、全身対側性にほぼ均等な症状を示す皮疹が出現するが、その症状は各個体によつて異なり、皮疹から原因薬剤を類推することは原則として不可能であり、また同一症例に相前後して互いに異なつた皮疹が生ずるときこれらを相互に関連づけて考えるのが原則であるが、急性湿疹と中毒疹は全く別個の疾患であり関連づけることは困難である。

(ロ) 旗野倫の鑑定

鑑定人旗野倫(慶応義塾大学医学部皮膚科教授)による前記青木鑑定と同旨の事項についての鑑定結果(以下「旗野鑑定」という)の概要は、以下のとおりである。

まず結論として、亡フミエの五月三〇日当時の皮疹と六月二九日ころの皮疹とは別個の疾患であり、後者の死亡時に至るまで続いた皮疹は病歴病状等から中毒疹と判断されるが、これが薬疹就中ミオブタゾリジン疹であるとは考えられないとしており、その理由を次のとおり説明する。

すなわち、亡フミエは田代皮膚科医院で両手足の湿疹と診断されているが、その時期にはもはや当該皮疹は回復期に向かつていたと考えられるのであり、それは既に一部では乾燥落屑が認められたことやその後亡フミエが右皮疹を訴えた事実がないこと等から判断され、よつて右皮疹は田代医師の診断のとおり湿疹であつたと思惟する。

これに対し六月二九日以降の皮疹はその性状・経過等からある種の中毒疹と想定されるが、皮疹の性状から原因物質を明らかにすることは概ね不可能であつて、薬剤による中毒疹においてもある種の薬剤を除いては疹型から原因薬剤を想定することは困難で、多くの場合十分な病歴の調査と疑わしい薬剤の再投与により類似の皮疹が再現されて初めて原因薬剤の疑いを置くことができるものであり、本症例については中毒疹の原因物質が薬剤であるか否か、また薬剤であるとしてもその原因薬剤が何であるか断定することはできない。さらに田代皮膚科医院で診断された湿疹と右中毒疹とはかなりの時間的間隔があること、皮診の形態が全く異なること、湿疹と蕁麻疹様皮疹とではその発症機序を異にすることなどから、両者間に関係はないものと思惟される。

またミオブタゾリジンと右皮疹との関係については、五月三〇日当時の皮疹は同月二三日以来のものとされており、ミオブタゾリジン服用開始後五日目ころから皮疹を生じたとはいえ、その後も服用を続けていながら皮疹が増悪することなくむしろ軽快の傾向を示しているのでミオブタゾリジンによる皮疹とは考え難く、さらに六月二九日以降死亡時まで続いた全身性の皮疹は、薬疹であればその原因薬剤を中止すれば皮疹は速やかに消退傾向に向かい全身症状もそれと共に改善するのが一般であり、本症例のように皮疹が次第に悪化し、しかも死に至る例では原因薬剤もしくはそれに類縁の構造を有する薬剤が引続き投与されていたものと断ぜざるを得ないが、ミオブタゾリジンは皮疹発現の少なくとも一八日前には休薬されているところから、ミオブタゾリジンが原因薬剤であるとは考え難い。

(二)  鑑定結果等の評価検討

(1) まず本症例とミオブタゾリジンとの因果関係の有無はさておき、本症例の原因が何らかの薬物であるか、あるいは肝炎ウイルスその他の非薬物であるかにつき検討すると、鈴木・志方鑑定及び志方証言においては、本症例が全身性紅斑皮疹を伴なつた劇症肝炎であることから薬物性肝炎である可能性が強い(志方証言では九九パーセントの確率をもつて断言できるという)とされているのであり、ウイルス性肝炎の可能性については、ウイルス性肝炎であれば初期に発疹を生ずることがあつても発症後は消失するとの知見に基づきこれを否定している。ところで、ウイルス性肝炎と皮疹との関連性については、<証拠略>によれば、高橋忠雄編集「肝炎のすべて(内科シリーズ13)」と題する文献中に、ウイルス性肝炎は黄疸発生の数日前ころに種々の発疹をみることがあり、その頻度は三パーセント前後で紅斑、蕁麻疹、丘疹が顔面、四肢、躯幹にみられるが、黄疸出現とともに消退する旨の記載があることが認められ、右文献は本症例がウイルス性肝炎であることを否定する前記知見を裏付けている。

一方、亡フミエの劇症肝炎に併発した皮疹については、<証拠略>によれば、亡フミエが飯塚病院入院中診療に当たつた医師も中毒疹であると診断していることが認められ、さらに青木鑑定及び旗野鑑定(いずれも皮膚科関係の医学専門家によるもの)においても一致して中毒疹であると判断されているのである。しかるところ、亡フミエの前記認定の症状経過に照らすと、鈴木・志方鑑定の指摘するとおり本件の劇症肝炎と右中毒疹とは密接な関連性を有し、両者が同一原因によるものとみることには充分合理性がある。そして本件の劇症肝炎の原因を薬物とみる見地からは、右中毒疹も薬物中毒による発疹として両者の関連性ないし原因の同一性を容易に説明し得ることになる。

なおまた、本症例の原因としては、肝炎ウイルス及び薬物以外の他原因の可能性も考慮すべきであるが、本件証拠上他原因が存在する可能性は殆んど見出し得ない。

してみると、鈴木・志方鑑定及び志方証言が本症例につき薬物性肝炎である可能性が強くウイルス性肝炎である可能性が乏しいとしている点は、充分合理的理由があるものと認められる。

右に対し、濱島鑑定及び井林・遠城寺鑑定では、本症例はむしろウイルス性肝炎である疑いが強いとされているけれども、右各鑑定がその理由として掲げている点のうち、まず一般的に劇症肝炎の大部分ないし圧倒的多数がウイルス性肝炎であるとの点については、なるほど<証拠略>によれば過去の劇症肝炎に関する統計上その多くがウイルス性肝炎であるとされていること(ちなみにある報告例では劇症肝炎五三例中ウイルス性肝炎とされているのが三九例(七三・九パーセント)であり、薬剤性肝炎とされたのが五例(九・四パーセント)である)が認められるのであるが、しかしながらある特定の症例の原因を考えるに当たつては当該症例の臨床経過その他の具体的事実に即した判断が先決であることはいうまでもなく、右の如き統計結果は補助的な判断材料となり得るに過ぎないものであり、従つて一般的に劇症肝炎の多くがウイルス性肝炎であることは必ずしも本症例がウイルス性肝炎であることを裏付ける積極的な根拠にはなり得ない。次に右各鑑定において、亡フミエが自己免疫性疾患である橋本氏甲状腺炎に罹患していたことは本症例がウイルス性肝炎であることないしその劇症化を示唆するものであるとされているのであるが、しかしながら志方証言によれば、橋本氏甲状腺炎はウイルス性肝炎とは無関係でむしろ薬物性肝炎を劇症化させた可能性があると指摘されており、この証言部分はその前後の証言内容等に徴し充分信憑性があるものと認められ、従つて右の点もウイルス性肝炎であることの根拠とはならず、むしろ薬物性肝炎を示唆するものということができる。そして右各鑑定を通覧するも、他に本症例がウイルス性肝炎であることを裏付ける積極的な根拠が示されているとは認め難く、結局右各鑑定は、本症例が薬物性肝炎であることを否定する結果としてウイルス性肝炎である疑いが強いと判断しているに過ぎないとみられるのである。しかして右各鑑定は本症例が薬物性肝炎であることを否定するについても積極的な根拠を殆んど示しておらず、ただ井林・遠城寺鑑定が亡フミエにつき好酸球増多がないことをもつて薬物性肝炎には否定的な所見であるとしているのみであるが、鈴木・志方鑑定及び志方証言によれば、好酸球増多は薬物性肝障害の四〇ないし五〇パーセントにみられるに過ぎず、従つて好酸球増多がないことは薬物性肝障害を否定するものではないことが認められるのであるから、右の点は本症例が薬物性肝障害であることを否定する積極的根拠にはなり得ない。

のみならず濱島鑑定及び井林・遠城寺鑑定のいずれにおいても、本症例の劇症肝炎とこれに併発した中毒疹との関連性についての検討が欠落している点が注目されるところ、前記のとおり本症例では劇症肝炎と中毒疹とが密接な関連性を有しており、右中毒疹が本症例の原因を鑑別する重要な手がかりになるものとみられるにも拘らず、右各鑑定結果がかかる点の検討を全く欠いていることは、その判断過程及び結論の合理性に重大な疑念を抱かせるものであり、右の点について充分な検討を経ている鈴木・志方鑑定及び志方証言と対比して、右各鑑定結果は説得力に乏しいものといわざるを得ない。

なお青木鑑定及び旗野鑑定は、本症例の劇症肝炎に併発した中毒疹についてその原因がミオブタゾリジンであることは否定するものの、何らかの薬物がその原因であり得る可能性は否定しないものの如くである。

以上のとおりであつて、前記各鑑定結果を対比検討すると、鈴木・志方鑑定及び志方証言が本症例を薬物性肝炎である可能性が強く、ウイルス性肝炎である可能性が乏しいとした判断には充分信頼を置き得るものと認められ、その余の各証拠を通覧するも薬物及び肝炎ウイルス以外の他原因の存在する可能性を見出し難い本件においては、本症例は薬物性肝炎であると認めるのが相当である。

(2) そこで進んで、本症例の原因薬剤が果たしてミオブタゾリジンであるか否かを検討するに、鈴木・志方鑑定においては、若干問題があるがミオブタゾリジンが本症例の原因薬剤である可能性を完全には否定できないとする見解が提示され、さらに志方証言ではミオブタゾリジンが原因薬剤であることを八〇パーセント以上の確率をもつて肯定し得るとされ、その主たる理由として亡フミエが死亡前に投与を受けた多数の薬剤のうち本症例の如き肝障害を起こす可能性の最も高い薬剤がミオブタゾリジンであり、他の薬剤はその可能性が乏しいことが掲げられている。これに対し井林・遠城寺鑑定においては、本症例がミオブタゾリジンの服用中止後に発症したことから右薬剤が原因薬剤であることは否定されるとされ、また青木鑑定及び旗野鑑定でも、同様の理由で前記中毒疹の原因薬剤がミオブタゾリジンであるとは考えられないとされている。

ところで、ミオブタゾリジンについては、前記のとおりその有効成分であるフエニールブタゾンに肝障害の副作用のあることが文献上明らかにされているのみならず、フエニールブタゾンの服用により重篤な肝障害を発症して死亡したという本症例と類似の症例も報告されており、従つて少なくともミオブタゾリジンが本症例の如き重篤な肝障害の原因薬剤になり得る可能性の高い薬剤であることは容易に認め得る。

一方、亡フミエが死亡前に投与を受けたその余の薬剤につき本症例の原因薬剤としての可能性を検討すると、被告麻生セメントは亡フミエが肝障害の副作用のある薬剤としてミオブタゾリジンの外にもボミトールの投与を受けている旨主張するところ、<証拠略>によれば、ボミトールが含有する抗ヒスタミン剤のプロメタジンには肝障害の副作用のあることが認められる。なおまた亡フミエが投与を受けた前記のその余の薬剤については肝障害の副作用の存在することの主張、立証はなく、従つて本症例の原因薬剤である具体的な可能性は認め難いところであるが、その可能性を絶対的に否定し得るわけでもないことは、被告藤沢薬品の主張のとおりであろう。

このようにミオブタゾリジン以外の薬剤についても本症例の原因薬剤になり得る可能性のあることを否定することはできないのであるが、しかしながら<証拠略>によれば、亡フミエが投与を受けた各薬剤を調査した結果、ミオブタゾリジンは多くの文献で肝障害の副作用のあることが明らかにされている薬剤であつて、本症例の如き重篤な肝障害を起こす可能性の最も高い薬剤であり、他の薬剤はその可能性がかなり低いかあるいは肝障害の副作用が全くないとされている薬剤も存することが判明したことが認められ、これに対する的確な反証はないから、ミオブタゾリジンは本症例の原因薬剤として最も可能性が高く、他の薬剤についてはミオブタゾリジンとの比較においてその可能性は乏しいことを是認し得る。

そこで次に、ミオブタゾリジンの服用時期と本症例の発症時期との関連性につき考えるに、前記のとおり亡フミエは昭和四八年五月一八日から同年六月一〇日までの間ミオブタゾリジンを断続的に服用したのであるが、その後二週間余りを経て発熱、全身性皮疹が出現し、さらにその後肝機能の異常や黄疸の出現が確認されるに至つており、ミオブタゾリジンの服用中止後本症例の発症までの期間は二週間余りであることが認められる。

しかるところ井林・遠城寺鑑定においては、薬物性肝障害は原因薬剤の服用中もしくは服用開始二週間内に発症する旨の国内外の文献を根拠にして、本症例につきその原因薬剤がミオブタゾリジンであることは否定されるとし、青木鑑定及び旗野鑑定では、本症例の中毒疹とみられる皮疹が薬疹であればその発現時に投与されていた薬剤に原因を求めるべきであるとの見解を提示したうえ、ミオブタゾリジンが原因薬剤であることを否定している。これに対し鈴木・志方鑑定では、薬物性肝障害が原因薬剤の服用中に起こることが多いことは認めながらも、服用中止後に起こることも当然考えられるとし、ただしその場合の多くは服用中止後二週間以内に起こつておりフエニールブタゾンについては服用中止後一〇日目に肝障害が起こつたとの報告があるとしたうえで、本症例の原因薬剤がミオブタゾリジン(フエニールブタゾン)であるとすれば、右期間を超えて発症したことになりまれであるといえるとの指摘をしている(この指摘をふえんすると、本症例はまれではあるけれども有り得ないことではないという趣旨であろう)。さらに志方証言によれば、薬物性肝障害が薬物の服用中止後三週間経過して発症することがある旨記述した文献も存在することが認められる。

そこで考えるに、前記各鑑定の大方の指摘するとおり、薬物性肝障害ないし薬物による皮疹は通常は原因薬剤を服用中に発症するものであろうが、しかしながら鈴木・志方鑑定及び志方証言では、原因薬剤の服用中止後も一定期間内は肝障害が発症し得ることがこれを裏付ける具体的な症例報告や文献の存在を掲げたうえで指摘されているのであるから、この指摘も充分信頼を置き得るものと認められるのである。そして右指摘に基づくと、原因薬剤の服用中止後三週間内あるいは少なくとも二週間内であれば肝障害が発症する可能性があると認められるところ、本症例の場合ミオブタゾリジンの服用中止後肝障害の発症までの期間は二週間を若干経過したものであるから、結局本症例がミオブタゾリジンの服用によつて肝障害を発症した可能性は否定できない。

ところで被告麻生セメントは、薬物性肝障害の診断基準では薬物の服用開始後一ないし四週に肝障害の出現を認められることとされているが、本件の場合にはミオブタゾリジンの服用開始後右期間内に肝障害の出現がなかつたので右薬剤が原因であることは否定される旨主張する。しかしながら、<証拠略>によれば、鈴木宏は「新薬と治療」一〇巻二号誌上において薬物性肝障害について多数の研究者が関与して設定した診断基準(案)につき解説しているところ、右診断基準の「薬物の服用開始後(一~四週)に肝障害の出現を認める」との項目において、薬物性肝障害は通常服薬開始後二週前後で起こつてくる例が多いが一ヵ月以上してから起こる例もあるので、「一~四週」との期間の設定は特に限定的な意味は持たない旨説明していることが認められ、従つて本症例の場合ミオブタゾリジンの服用開始より発症までの期間を数えると六週間前後となるけれども、このことは右診断基準に照らしても本症例が右薬剤を原因とすることを否定する理由にはならないものということができよう。

のみならず<証拠略>によれば、フエニールブタゾンによる副作用の潜伏期は六ないし四〇日であるとの報告もあることが認められ、本症例の原因薬剤がミオブタゾリジンであるとすれば、その潜伏期(六週間)は右報告にかかる潜伏期の最長期(四〇日)にほぼ一致することになる。

以上のとおりであるから、ミオブタゾリジンの服用時期と本症例の発症時期との関係においても、両者の関連性を否定し去ることはできないものと認められる。

なおミオブタゾリジンの服用開始後まもない時期に現われた亡フミエの両手足の皮疹につき、鈴木・志方鑑定では、右皮疹がフエニールブタゾンによくみられる症状であり薬剤の投与と一致したことからもフエニールブタゾンによる中毒疹である可能性が強く、かつ右皮疹と昭和四八年六月二九日ころに認められた皮疹とは同一性があるとの指摘がなされており、仮にこの指摘のとおりであれば、ミオブタゾリジンの服用開始後まもなく該薬剤を原因とする薬疹が生じ、これが変化して全身性の皮疹となり、それと同時に劇症肝炎が発症したことになり、ミオブタゾリジンと本症例の関係が一層明らかとなる。これに対し青木鑑定及び旗野鑑定では、亡フミエの当初の両手足の皮疹は単なる湿疹であつて、後に出現した全身性の中毒疹とは同一性がなく、また当初の両手足の皮疹はミオブタゾリジンの服用を続けている間も増悪することなくむしろ軽快しているとみられるので、右薬剤による薬疹であるとは考え難い旨の指摘がほぼ一致してなされている。そして右各鑑定と鈴木・志方鑑定(及び志方証言)のそれぞれの右皮疹に対する判断の過程を仔細に検討するも、いずれに信頼を置くべきかにわかに決し難いところであるが、右皮疹がミオブタゾリジンの服用開始後まもない時期に出現したこと、一般に皮疹は右薬剤の典型的症状であるところ、右皮疹を直接診察した田代医師は単なる湿疹であるとの診断をしているが、志方証言によれば、薬物による皮疹は固定薬疹を除いては非特異的であるというのであるから、薬物による皮疹が単なる湿疹と同様の症状を呈する可能性も否定できないこと、また右皮疹が田代皮膚科医院での受診後ミオブタゾリジンの服用中にも拘らず軽快したとみられるとの青木鑑定等の指摘は、亡フミエが右医院を一回受診したのみでありその後二〇日を経て受診した光井医院等で右皮疹を訴えた形跡がないことなどの事情に基づく推論に過ぎず、確証があるわけではないことなどの事情に照らすと、右皮疹がミオブタゾリジンの副作用ではないかとの疑念は多分に抱かれるところである。

(3) 以上を総括するに、本症例の劇症肝炎は薬物性肝炎であり、従つて本症例の原因は何らかの薬剤であると認められるところ、その原因薬剤としては亡フミエが死亡前に服用した薬剤の中でミオブタゾリジンが最も可能性が高く、これとの比較において他の薬剤はその可能性が低いかあるいは全くなく、またミオブタゾリジンの服用時期と本症例の発症時期との関係でも両者の関連性を否定し去ることはできず、その他前記説示の諸事情を総合勘案すると、本症例の原因薬剤については、志方証言のとおりミオブタゾリジンであることを相当程度の蓋然性をもつて肯定し得るものと認められる。

(三)  因果関係についての結論

よつて本件事故とミオブタゾリジンの服用との間には、因果関係が存するものと認めるのが相当である。

三  被告らの責任

1  被告藤沢薬品の責任

(一)  注意義務の内容

医薬品はその性質上人の生命・健康と密接な関わりを持つものであるから、製薬会社は医薬品の製造販売に当たつてその安全性を確保すべき注意義務を負うことはいうまでもない。

ところで医薬品の安全性を確保するためには、当該医薬品が人の生命・身体に対し及ぼす有害な作用(副作用)を認識・予見することが先決であるが、その具体的方法としては原告らが主張するとおり、製薬会社において医薬品の製造販売を開始するに当たり国内外の文献、情報の収集を行ない、あるいは当該時点での最高の技術水準をもつて動物実験や臨床試験を行なうなどし、また製造販売を開始した後も引続き右調査研究を行なうとともに当該医薬品の使用状況を追跡調査するなどし、もつて副作用の認識・予見に努めるべきであると考えられる。

そして製薬会社は、当該医薬品につき副作用を認識・予見した場合には適切な結果回避措置を講じなければならないところ、そもそも医薬品は人体にとつて異物であり、またその作用は多様であつて疾病の治療に有効な作用を有する反面で何らかの副作用が発現する危険性を本質的に内包しているものと考えられており、従つて医薬品の有用性はその有効性と安全性との比較衡量のうえで判定さるべきものであり、医薬品の安全性とはそのような相対的な概念として把握されなければならないのである。しかるところ、医薬品につき副作用が認識・予見された場合に如何なる結果回避措置をとるべきかは、当該医薬品の医療上の価値すなわち適応症の種類、治療効果の程度、代替医薬品の有無等と、認識・予見される副作用の程度すなわちその重篤度、発生頻度、可逆性(治癒可能性)等を総合判断して決せられるべきであり、その場合の具体的な結果回避措置としては、製造販売を行なわずまた製造販売開始後においてはこれを中止したうえ既に販売された医薬品を回収すること、あるいは医師その他の使用者に対し副作用の内容及び使用方法につき充分指示警告を行なつたうえで製造販売を行なうことなどが考えられる。

(二)  注意義務違反の有無

原告らは、被告藤沢薬品がミオブタゾリジンには人体に対し許容し得ない副作用のあることを知りながらその製造販売を開始し、かつ本件事故当時まで右製造販売を継続したことにより同被告が医薬品の安全性を確保すべき注意義務に違反した旨主張するので、以下検討する。

まず、被告藤沢薬品がミオブタゾリジンにつき本件の如き薬物性肝障害等の副作用を認識予見し得たか否かにつき考えると、前記のとおりフエニールブタゾンに肝障害等の副作用のあることが文献上明らかにされているのみならず、<証拠略>によれば、被告藤沢薬品の作成に係るミオブタゾリジンの使用説明書(昭和四七年九月改訂のもの)において右薬剤に肝障害等の副作用のあることが記載されていることが認められ、これらの事実に照らし、被告藤沢薬品がミオブタゾリジンにつき肝障害等の副作用を現に認識・予見していたことは明らかである。

しかして、右副作用を認識・予見した場合に如何なる結果回避措置をとるべきであつたかを考えるに、ミオブタゾリジンの使用状況及びフエニールブタゾンの薬効及び副作用症状の内容は前記二2記載のとおりであり、また<証拠略>によれば、フエニールブタゾンはその薬効が広く認められ、臨床的使用経験も豊富で重篤な副作用が少ないとの一般的評価を受けている医薬品であることが認められ、その副作用の程度についても、前記のとおりフエニールブタゾンによる肝障害の症例には死に至る重篤な例も報告されているが、これは極めて稀有な例であるし、前記各鑑定を総合すると、本件の亡フミエの死亡という重篤な結果は同女の特異体質(橋本氏甲状腺炎)が関与している可能性が強いものとみられるので、これらは必ずしも右薬剤の副作用の重篤度を示すものとは認め難い。また<証拠略>によれば、我国において昭和一九年から昭和四八年までの三〇年間におけるフエニールブタゾンによる肝障害の報告例は一二例に過ぎないことが認められる。さらに<証拠略>によれば、一般に薬物性肝障害は原因薬剤の服用中止により軽減ないし治癒するのが普通であると考えられていることが認められ、フエニールブタゾンによる肝障害も通常は右のとおり可逆性があるものと認められるのである。以上の諸事情を勘案すると、ミオブタゾリジンの副作用の程度はその医薬品としての有用性を否定するほど重篤なものとは考え難く、むしろ右薬剤につき認識・予見される副作用の内容及び右薬剤の使用方法等につき医師その他の使用者に充分指示警告を行なつたうえであれば、製造販売を行なうことは許容し得るものであり、従つて結果回避措置も右の程度に止まり、製造販売そのものを避止することまでは必要がないと解せられる。

そうだとすると、被告藤沢薬品がミオブタゾリジンの製造販売を開始しかつ本件事故当時まで製造販売を継続したことをもつて、直ちに医薬品の安全性を確保すべき注意義務に違反したものとは認め難い。

(三)  よつて被告藤沢薬品には本件事故につき原告ら主張の如き過失はなく、同被告は本件事故につき損害賠償責任を負わないものといわねばならない。

2  被告国の責任

(一)  注意義務の内容

厚生大臣は、医薬品の製造承認に際し、あるいは製造承認後においても、医薬品の安全性確保のため副作用の認識・予見に努め、かつ副作用が認識・予見された場合には適切な結果回避措置をとるべき注意義務を薬事法上負うものと解するのが相当である。もつとも前記のとおり、医薬品はその有効性と安全性の比較衡量のうえで有用性が決せられるものであり、それは高度の専門的技術的判断にかかるから、厚生大臣が医薬品の安全性確保のために如何なる措置をとるべきかはその裁量に委ねられているものと解せられ、従つて厚生大臣の安全性確保に関する措置は、それが社会通念上著しく不当で裁量の範囲を逸脱したものと認められる場合にのみ、右注意義務に違反した違法、有責なものとなると解すべきである。

(二)  注意義務違反の有無

原告らは、厚生大臣がミオブタゾリジンの安全性を確認しないまま製造承認をなし、また承認後同薬剤には人体に対し許容し得ない副作用のあることを知りながら何らの措置をとらず放置していたことにより、前記注意義務に違反した旨主張するが、前記1(二)において説示のとおり、ミオブタゾリジンは肝障害等の副作用によつて直ちにその医薬品としての有用性を否定されるものではなく、副作用の内容及び使用方法等の指示警告を行なつたうえであれば製造販売を行なうことは許容し得るものである。従つて厚生大臣が原告ら主張の如くミオブタゾリジンの製造承認をなし、また承認後における製造販売の停止、販売された製品の回収等の措置をとらなかつたとしても、格別不当なものとはいい難く、前記注意義務に違反したものとは認められない。

(三)  よつて厚生大臣には原告ら主張の如き注意義務違反はなく、被告国は本件事故につき損害賠償責任を負わないものといわねばならない。

3  被告麻生セメントの責任

原告らの被告麻生セメントの責任に関する主張のうち、不法行為責任の主張につき以下判断する。

(一)  佐田医師の過失

(1) 原告らは、そもそもミオブタゾリジンはその重篤な副作用の程度からして亡フミエの肩こり、頸部筋肉痛といつた軽微な症状の治療剤として使用すべきでなかつたにも拘らず、佐田医師においてあえて亡フミエの右症状の治療のため使用した過失がある旨主張するが、<証拠略>によれば、被告藤沢薬品の作成に係るミオブタゾリジンの使用説明書において、右薬剤の適応症として肩こり、筋通その他筋肉の異常緊張を伴なう疾患が掲記されていることが認められ、従つて原告ら主張の如き亡フミエの症状はミオブタゾリジンの適応症として製薬会社が容認しているものとみられること、及び前記認定の副作用の程度等を斟酌すると、佐田医師が亡フミエの右症状の治療のためミオブタゾリジンを使用した行為は、その具体的な投与方法等の適否はさておき、それのみをもつて直ちに過失があるということはできない。

(2) 次に原告らは、佐田医師が亡フミエに対しミオブタゾリジンを投与するに当たり副作用の発現を回避するために必要な注意義務を怠つた旨主張するので検討するに、<証拠略>によれば、本件事故当時佐田医師においてミオブタゾリジンには発疹や肝障害等の副作用があることを前記使用説明書や国内外の文献を通じて充分知り得たものと認められるから、同医師が亡フミエに対し右薬剤の投与を開始するに当たつては、事前に同女の身体状態を充分観察しかつ薬剤アレルギーの有無を確認するなどし、その結果副作用発現の具体的危険性を予見したときは投与を回避すべきであり、また投与を開始した後も投与中の同女の症状経過を充分観察し、その結果副作用発現の徴候ないしそれを疑わせる身体的異変が認められた場合には直ちに投与を中止するなどして、副作用により亡フミエの生命・身体が侵害されることを未然に防止すべき注意義務があつたものというべきである。

ところで佐田医師は昭和四八年五月一八日亡フミエに対しミオブタゾリジンを一週間分投与したのであるが、同医師が右投与開始の時点において右薬剤により亡フミエに本症例の如き肝障害等の副作用が発現する具体的危険性を予見し、または少なくとも予見し得たことについては、本件証拠上にわかにこれを肯認し難い。

しかして前記のとおり、亡フミエがミオブタゾリジンの投与を受けてまもない同月二三日ころに両手足に皮疹が出現しているところ、右皮疹が果たしてミオブタゾリジンの副作用であるか否かについては前記のとおり各鑑定結果に見解の対立があり解明し得ないのであるが、しかしながら右皮疹はその出現の時期がミオブタゾリジンの投与と接近し、かつ一般に皮疹は右薬剤の典型的な副作用症状であることなど前叙の諸事情に照らし少なくともミオブタゾリジンの副作用の発現であることを疑わせるに足る身体的異変であるとみることができる。しかるところ佐田医師において亡フミエの症状経過を充分観察しておれば、当然右皮疹の出現を直ちに発見し得たはずであり、これを発見すれば前記の如き副作用の発現を疑い、その重篤化を避けるべく、以後はミオブタゾリジンの服用を中止させるべきであり、少なくともミオブタゾリジンを再投与することは当然回避すべきであつたといわなければならない。にも拘らず同医師は右皮疹に気づかず同月二五日前記のとおり漫然再投与したものであるから、前記注意義務に違反したものというべきである(なお証人佐田博巳は、右再投与に際し亡フミエの身体状態に異常のないことを確認した旨証言するが、その証言時期及び前叙の事情に照らし、右証言部分は措信し難い)。

(3) 右のとおり佐田医師においてミオブタゾリジンの投与につき前記注意義務に違反した過失があるというべきところ、叙上諸般の事情に徴すると、本件事故は右過失に起因すると認めるのが相当である。

(二)  被告麻生セメントの使用者責任

<証拠略>によれば、被告麻生セメントはその経営する飯塚病院において本件事故当時佐田医師を雇傭していたことが認められるから、同被告は佐田医師の使用者として同医師の業務執行上の過失に起因する本件事故につき、民法七一五条一項により損害賠償責任を負わねばならない。

四  損害

1  亡フミエの損害

(一)  逸失利益 金一二九二万九五三五円

(1) <証拠略>によれば、亡フミエは本件事故による死亡当時三三才(昭和一五年三月二〇日生)であり、通常の健康体で、夫の原告文男とともに惣菜店を営み月額四万五〇〇〇円の給料の支払を受けていたことが認められるところ、右事実によれば、亡フミエは本件事故により死亡することがなければ六七才に達するまで就労可能で、その間昭和五三年三月二日までの五五ヵ月間は右給料月額と同等の平均月間収入を上げ得、その四割を生活費として費消したものと推定されるので、ライプニツツ式計算法により民法所定の年五分の割合の中間利息を控除して、亡フミエの右同日までの逸失利益の本件事故当時の現価を算定すると、左記計算式のとおり金一三二万四六七四円となる。

(計算式)

45,000(円)×49.062×(1-0.4)=1,324,674(円)

(2) また亡フミエは昭和五三年三月三日以降も六七才に達するまでの二九年間就労可能であつたところ、昭和五三年度賃金センサス第一表中産業計・企業規模計・学歴計・年令計の女子労働者の平均年間収入は金一六三万〇四〇〇円であるから、前記認定の健康状態等に照らすと、亡フミエは右就労可能期間中右同等の平均年間収入を上げ得、その四割を生活費として費消したものと推定されるので、ライプニツツ式計算法により民法所定の年五分の割合の中間利息を控除して、亡フミエの前同日以降の逸失利益の本件事故当時の現価を算定すると、左記計算式のとおり金一一六〇万四八六一円(一円未満切捨)となる(三四年に対応するライプニツツ係数は一六・一九二、五年に対応する同係数は四・三二九である)。

(計算式)

1,630,400(円)×(16.192-4.329)×(1-0.4)=11,604,861(円)

(3) 以上によれば、亡フミエの逸失利益は合計金一二九二万九五三五円となる。

(二)  慰藉料 金三〇〇万円

亡フミエは自らの健康を回復せんがために服用した薬剤により、却つて重篤な肝障害を発症し、遂に三三才にして夫と二人の子供を残して突然の死を迎えるに至つたもので、同女が本件事故により多大の肉体的、精神的苦痛を蒙つたであろうことは多言を要しない。しかしてまた、同女において本件事故を回避する手段はもとよりなかつたとみられるが、他方前記の如く、ミオブタゾリジンには本件の如き重篤な副作用事故は極めて稀有であり、本件事故には亡フミエの特異体質(橋本氏甲状腺炎)が関与している可能性が強く、これらの事情に鑑みると、右薬剤を投与した医師の責任もさほど重大視することはできないものといわねばならない。

以上の事情及び本件証拠に顕われたその他一切の事情を総合勘案すると、亡フミエの蒙つた肉体的、精神的苦痛に対する慰籍料としては金三〇〇万円が相当であると認められる。

(三)  相続

原告文男が亡フミエの夫であり、原告耕史、同恭弘がいずれも亡フミエの子であることは前記一1記載のとおりであるから、右原告らは亡フミエの右損害賠償請求権の各三分の一である金五三〇万九八四五円宛を相続により承継取得したものと認められる。

2  原告ら固有の損害(慰藉料)各金一〇〇万円

亡フミエと原告らとの身分関係は前記一1記載のとおりであるところ、原告らが亡フミエの死亡により多大の精神的苦痛を蒙つたであろうことは想像に難くなく、前叙の諸事情を勘案すると、右精神的苦痛に対する慰藉料としては原告ら各自に対し各金一〇〇万円が相当であると認められる。

3  弁護士費用 原告キミエ・金一〇万円、その余の原告ら・各金六〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは被告麻生セメントが任意に前記の損害賠償をなさないため、本件訴訟の追行を弁護士である原告ら訴訟代理人四名に委任し所定の報酬を支払うことを約したことが認められるところ、本件事案の難易度、審理に要した期間、認容額等を斟酌すると、本件事故と相当因果関係ある損害として原告らが被告麻生セメントに対し請求し得る弁護士費用は、原告文男、同耕史、同恭弘につき各金六〇万円、同キミエにつき金一〇万円が相当であると認められる。

五  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告麻生セメントに対し不法行為による損害賠償として、原告文男、同耕史、同恭弘が各金六九〇万九八四五円及び弁護士費用を除く内金六三〇万九八四五円に対する本件事故の日の翌日である昭和四八年七月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告キミエが金一一〇万円及び弁護士費用を除く内金一〇〇万円に対する前同日より前同割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、同被告に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求はいずれも失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷水央 近藤敬夫 田中澄夫)

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